こんちは!
まだまだ夏らしい日差しの8月終わりイベントのため今年も岡山県倉敷市に行ってきました。
大原美術館チルドレンズアートミュージアム2017です!
毎年子供達に色んな形で芸術に触れてもらおうと岡山県倉敷市の大原美術館で開催されているイベントです。
お客さんとしてではなく、今年12年目?に突入した「みんなで描こう!モネの睡蓮」というWS(ワークショップ)のスタッフとして参加しました。
といってもブログ的には「急に・・え?」て感じですがw
大学1年から四年間、そして卒業後少し間を空けて再び参加をして僕は今年で7回目?になりました。けっこーやってる・・!
自分でWSの企画とか出来たらおもしれーだろうなぁとかも思ったこともありますが、なかなか発想も乏しいし行動力もついてきていませんので、なんかしらのきっかけで参加できるのはとても嬉しいんだよな~
このWSでは、大原美術館にある、モネが描いた睡蓮から株分けされたという睡蓮の咲く池を40分割して、それを一人ひとりが分担して大きな1枚の絵を完成させるという内容です。(それを毎年4セット作ります)
睡蓮の池
ランダムで取ったマスを覗きます。
画材は主にクレパスで、18㎝四方くらいの画用紙を埋めてもらいます。
年齢はチルドレンズいうくらいなので小学生くらいがメインかな?と思いますが、本当に様々で、2歳とか、中学生、一部高校生とか、大人の方も幅広く参加されます。
大学では日本画を専攻し、現在伝統工芸の職人見習いして働く僕が何故このWSに参加し続けるのか、自分の考えの整理としてもを書き綴りたくなったので今回ブログにしてみました。
今回初めて真面目臭いブログです笑
まず僕は大学に入った当初からWSというものに興味はありました。
何故かは忘れてしまいましたが、大学入る前には美術的な知識も技術もないので漠然と「なんか楽しそうだな~」くらいの感じだったと思います。
そして人生初めてのWSスタッフとしての経験もこのチルドレンズアートミュージアムだったと思います。
しかしながら今思えば、基礎技術を初めて学びだした奴がいくら子供中心が相手だとはいえ何かを先生(向こうから見ればそうだ)として教えてあげようなどとなかなか安易な考えをしていたもんです
実際どう教えればいいかわからず、なんとなく付き添ってるみたいなかたちでした。恥ずかしい!!
本来そうなのであれば先に1度でも使う画材くらい触って確かめておくべきだった。と、今は感じます。
結局それは、なんとなく楽しそうという遊び的な感覚だけで、本来なぜWSを開くのか、そこで何を与えられるかという本質的なことを理解できていなかったんですよね。
しかしまぁ流石に何度も経験し、このWSに関しては回数も重ねてるのもあり自分なりの考えや学びが生まれてきて、それを少しでも活かしたいと思うようになってきました。
他のチルミュのプログラムを拝見しても思うのですが、WSの意義とは「体験することによる新たな発見」だと思います。
そして、うちのモネの睡蓮を描こう!の面白いところは何かを発見のできる可能性を多く含んでいるところにあると思います。
というか、あえて、そういう部分を残してる、という感じでしょうか
例えばマスの中の風景を「覚えてみる」というルールにより、「蓮って、どんなやっけ・・」となり何度も実物を見に行くことにより、「微妙に赤がある!」とか「なんか水の中に変なもの沈んでる」などその物の本来の「形」の発見があります。
白もあるよ
さらに使う画材はクレパスですが、これは小さい子たちもみな親しみのある画材ですので「塗る」という行為はしっていますが、「混ぜる」「伸ばす」「引っかく」など新しい表現方法を教えることにより、親しみのあった画材の多様性を発見することが出来ます。
そして最後は1枚の絵では小さくても40枚の絵の中に入れ、大きな1枚の絵として見たときに自分の絵はどんな役割をしているのかとか、まわりはこんなふうに見えていたの?という、発見があります。
そんなWSをやっていて少しひっかかることがあって、「何やっても褒めてくれるね」と言われることがあります。
それは「誉め上手で上手いね」という時もあれば、たとえば小さい子が突拍子もない色をいれ始めるような場合に「とりあえず褒めるね」みたいなニュアンスで言われる時もあります。
はっきりいって「とりあえず」褒めてることなんて一切ないと(ほんとはw)言いたい。
別に学校のテストみたいに絶対の答えがあるわけでもないんやし、やったことに対して逆に注意する(までは言わんでもね)理由なんてあるかな??と思います。
イメージを膨らましてその時に選んだ色が例えば水を描こうとしてるときに黒を選んだとしてもその子にとって間違えではないんです。
しかし、そのままただぐちゃぐちゃに黒を色を画面にぶっぱなしてそれをただ見てるでは意味がありません。それだとただのいつもやっているお絵かきの時間になってしまいます。
せっかくWSに参加してもらうということは、僕らが何かを与えられるように努力しなければなりません。
例えばはみ出さずにきれいに塗れるか?という基本的なことでもいいだろうし、こんな色を混ぜてみたらどう?とか、他に何を感じた?など、参加したことにより一つでも何か新しい発見や体験ができるようにと思いながら僕は付き添っています。 (そういう得るものがあったのなら少々本筋とずれてもいいと思っています。)
基本的にある程度の年齢の人や、ばんばん手が動いている子たちには口出ししません。そういう人たちは自分の表現のしたいものがある程度わかっているからです。それをあえて邪魔をする必要はないと思うからです。
そこで手がとまったときや声かけられたとき、もう少し踏み込むことが出来そうな時にはもちろん何かしらの方法を提案したりします。
そこで描くのを渋ってた子が「わぁぁぁぁ」となったときが、やっぱり一番嬉しいですw
そういう子に限ってそのままめちゃくちゃ時間かけて完成させたりします。おもろい。
この子はその口で、かなり後半ノリノリでやってました(手元だけだし撮影許可は一応もらったし多分大丈夫・・)
そして結局こういうことを通して何をしたいかというと、一枚の絵を完成させる間に、一つでも新しい何かを持ってかえって自分の表現のしかたを増やす手伝いになればなぁと思ってやってるんだよ!てことなんです。
自分を表現するということは、自分を知ることだと思っています。
自分の表現ってなんだよ・・て感じですが、誰もが多かれ少なかれしたいと常に思っているものじゃないでしょうか。
簡易に自分を発信できるSNSがここまで人々に普及したのはそういうことかな、と思います。
でも感情とか内面とかいうのはとても複雑でこれが私だ。とそう単純なものじゃないですよね。
だから人は芸術活動をするんだと思います。
作品作りを進めていくことによって自分が何が好きなのか、何を考えているのかが、見えてくる気がします。
そんでそういう行為は生きてく為の活力になると思います。僕自身は今はたいした作品作りなんて出来ていませんが、自分なりにやりたいことをやって、少し時間かかるものは常に考えつつタイミングがあれば少しずつ進めていこうと毎日過ごせればな、と考えています。
ですがいかんせん芸術活動というとなんか特殊なものだと感じている人が多くいるように思います。
しかし、自分の表現というのは絵を描くや、物を作るだけでなく、歌うとか、文を書くとか、誰かと話すとか、写真を撮るとかなんでもいい。
感性を働かせることが芸術活動であると思います。
その表現のきっかけ作りとしてWSを使ってほしいんです。
もちろんこういう使命感?みたいなんだけでなく、たくさんの人と触れあうことで、自分の為にもなっていると感じるので、こうしてなんかあるたびに色々参加しています。
子供とかとくにどこまで踏み込んでいいのか?興味を持たせるにはどうすべきか?と、とてもある意味繊細なコミュニケーションだと思うので、とても楽しいです。
今は伝統工芸に関わる仕事をしていますが、ただ技が凄い、ていうだけじゃ僕は全然つまんない(ですが、将来は今の仕事で一流としてやっていく思いです)ので、もちろんこの世界の関わりも大切ですがその他色んなことに首をつっこんで、とにかく知らないことを知りたい。人と関わって刺激が欲しいと思うのです。
ですが、結果的に今の仕事の将来に繋がるとなお最高ですね。
まぁ、知って無駄なことはない!!!!
そんなこんなで今年もちょっと大変だったけど楽しかったなーと終えた岡山WSでした。
あとこれはあくまでも美術教育なんてものをまったく知らない個人の意見ですのでまぁ、そんなこともあるのかな、くらいに思っといてくださいw
文章書くってほんまに難しい・・
「~と思います。」ばっかりだとアホっぽい文章なりますね。
少しずつ編集していきますw
あ、あとこの100円ライター点火できない学生にびっくりしました。
マッチだけでなく、点火はワンプッシュのチャッカマン方式しか無理なようです。
まぁ今回はこんな感じで。色々やろうよ!ってことでした!
じゃ、またボドゲして遊びたいとおもいまーす!
はるみでした!